人生模索中ブログ(-.-)

happyを追究したniko life~さよならメニエール~

【読書記録】辻村深月「ツナグ」今日も大切な人を大切にした日を過ごします。

ちょっと低迷中のニコです。
みなさんのブログにもあんまり顔を出していなくて。ゆるりと更新します。


辻村深月「ツナグ」
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おすすめ度★★★★★

あらすじ

歩美(アユミ)は、「使者(ツナグ)」の見習い男子高校生。ツナグとは、生きている人間と死んでしまった人間の再会を仲介をする窓口。歩美は見習いとして仲介しながら、ツナグの役割や生と死について考えを深めていきます。


【感想、そして自分の考え】
とてもいい本でした。久しぶりの★5。
テーマがテーマなので「重すぎる本は嫌だな、、」と思っていたのですが、そういう印象は残りませんでした。思ったより、軽い読後感。
今回この本を読んでいて、忘れかけていた記憶がよみがえりました。本の感想と絡めて、私の持論についてもぜひ読んでいってもらえたら嬉しいです。

天国はないという持論

私、昔から天国はないと思っていたのです。死んだらそこで終わり。天国も地獄もない。

高校3年生の夏休み、2年間仲良くしていた男友達が交通事故で亡くなりました。実は私は彼のことが好きでした。今まで親戚の死は体験してきたけれど、初めて人の死で大泣きしました。自分でもそんな自分にびっくりしたのを覚えています。何日経ったかわからないのですが、「天国はない」という持論に変化が起こりました。

【天国というのは、大切な人を亡くした生きている人間が、どうしようもない気持ちを埋めたくて作り出したものだ。】と。

当時の私は、「あいつも天国で楽しく暮らしてるといいな。天国で見守っててくれるといいな。いつか死んだら会おうね。」と、信じてもいなかった天国の存在に助けられたのです。 生き残った者のエゴが作り出した存在なのかもしれませんが、天国という存在を信じることで前に進めました。

この本の歩美も【ツナグの存在は、生きている人間のエゴなのではないか。】と悩みます。ツナグのルール上、死者は生きている人間を指名することはできません。生きている人間が依頼して、初めて会うことができます。歩美は仲介しながら、答えを見つけていきます。ぜひ、読みながら一緒に考えてみてください。

葬式にお金をかけないで欲しいという持論

祖父が亡くなったときに、お葬式ってすごく大変だし、たくさんのお金がかかるな、、って思ったのです。高校生のころの日記に「私が死んでも葬式はお金をかけないでください。」と謎の遺言を残していたぐらいです。それはついこの前まで変わらず思っていました。
それが、先日何気なくテレビを見ていて「なるほど!!」と思うことがあったのです。
瀬戸内寂聴さんが出ていたのですが、お墓だか葬式だか仏壇だかの話で(すみません、うろ覚え、、。)
死んだ人というより、生きてる者の心の整理のためだから。
と言っていたのです。目からウロコでした。
私は[自分が死んだら]という視点でしか葬式のことを考えていませんでしたが、もしも大切な人が亡くなったら、きちっと見送りたいし、いつでも会えるお墓や仏壇が欲しいと思うでしょう。言ってみれば、それもまた【生き残った者のエゴ】なのかもしれません。

最後に

【ツナグも天国の存在もお墓も仏壇も葬式も全部生きている者のエゴ】だと思いました。だけど、それは悪いことではない。【大切だった人がいた】という事実がそのエゴを生むのかなと思います。そうでもしないと生き続けられない、または、そうすることでこれからの生きる勇気につながるのであれば、そのエゴは仕方がないのかもしれません。

そしてこの本を読んできっと誰もが考える「私だったら誰に会うかな?」ととか、「生きているうちに悔いなく過ごそう」ということは私ももちろん考えました。
毎日毎日、夫には愛があふれでちゃっていますが毎日愛を伝えてても、今死なれたら後悔しかありません。むかつくことも多々あるけど、毎日に感謝して暮らそうと改めて思いました。

明日は、夫の事故日です。おかげさまで奇跡的に命は助かり、全治1年の手術も終わり、元気に暮らしています。リニューアル後、下書きにいれてた当時の記事をまた公開しました。事故の次の日の記事なのでちょっと暗いですが、こちらのリンクも貼っておきます。

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