人生模索中ブログ(-.-)

happyを追究したniko life~さよならメニエール~

小学校教員という仕事を退職します。

「私の仕事は、残業代を出すことに値しないのか」 公立小教員の訴え〈全文〉|弁護士ドットコムニュース | https://www.bengo4.com/c_5/n_8987/
こんなニュースを読みました。

小学校教員の実態

私は同じ自治体で11年間勤務しました。他の社会人経験はありませんので比較はできませんが、少し紹介したいと思います。確かに残業代はでません。6年前、最大1日17時間ぐらい働いていたので、残業140時間ぐらいだったかもしれません( ゚Д゚)帰宅は0時すぎ。出勤は8時前。土日も特別クラブの引率や練習に駆り出されたりしていました。当時は出勤カードやタイムキーパーはなく、紙に手書きで何時間残業したかまとめる方式でした。
残業120時間をこえた紙を提出。
すると管理職に、「産業医が来ちゃうから、書き直して。」と言われたんですね。なんのための、残業調査?と思ったので、「産業医来てもらいます。」と伝えたものの、管理職の汚点になるため却下されました。
そこから6年。もう残業時間管理カードは書くのをやめました。しかしですね、多忙はもちろんのこと、仕事が趣味ようになっていたので少しは自分のせいでもあったと思います。
今の職場では、「ちゃんとかかないと世間にこの大変さを知ってもらえないから、書くんだよ!」と言われますが、、くそ忙しいのに、毎日何時間、なんのために残業しているか書くこと事態がまたばかばかしいと思ってしまい、なかなか書く気にならず。そんなときにタイムキーパーが導入されました!!

タイムキーパー導入の実態

うちの自治体では出勤したらカードでピッとやる機会が導入されました。いつも「ピッ」と呼んでいるので正式名称がわかりません。ここで問題なのは、出勤時しかピッをしないことです。退勤時にピッをしないので、結局残業時間記録カードに手書きで書き込むシステム。なんのための、ピッ導入ですかΣ(゚д゚lll)しかしですが、この数年後、退勤も「ピッ」になりました!!しかしこれはこれで慣れるまで忘れまくりました(笑)

熱心に学級指導や教材研究をやる人ほど、時間は足りません。

これは当たり前ですね。もちろん効率よくやられる方もたくさんいます。しかし、例え同じ学年を教えたことがあっても、指導要領が変われば教え方も変わりますし、目の前の子どもの実態が違えば、教え方も確実に変わります。毎日45分×の6コマ分の教材研究をちゃんとやるということは現実的にだいぶ厳しいです。というのも子どもが帰るのが15時半。15時45分~16時すぎまで会議。そのあとから、その日にあったことの保護者連絡やら、学校の仕事をして、終わったあとに好きな分だけ教材研究の時間が取れます。
ちなみに、教員の休憩時間は16時頃から30分~45分など、定められてはいます。ここに、その時間分休んでいる人など、1人も見たことはありません。たばこ休憩に行く人はいますけどね(^^)ちなみにお昼休憩はありません。給食指導がありますから、優雅にごはんを食べることもできないときも多々。

それでも子どもの成長がうれしい。この仕事が好きなんだ!!

ここまで読んでいただくと、ただのブラックだと思われますが(あながち間違ってはいない)、私がこの多忙の中でも楽しく働けたのは、やっぱり未来を支える子どもたちの成長にかかわれるって素晴らしい仕事だからです。モンスターペアレンツももちろんいますが、支持してくださる保護者の方が多いです。いつも優しさに救われていました。こちらがいい授業を打ち、常に誠実に対応していれば、子どもたちも支持してくれます。この10年間で出会ってきた教員の9割は子どものために頑張る先生たちでした。本当にやりがいのある素敵な仕事なのです。たまにニュースで、へんてこな教員がピックアップされますが、そのたびに悔しくなります。「ほとんどの先生が自分を犠牲にして、大好きな子供たちのために切磋琢磨している。」という事実は、報道されないですから。プロフェッショナルとか情熱大陸とかで、密着してほしいです(笑)夢の中でも授業してますよ、我々は!!

大好きな教職を退職

自分でいうのも変ですが、わりと向いていた職業だったかな?とうぬぼれています。先輩方・子どもたち・保護者の皆様・自分の努力のおかげで培ったものだと思っています。自己肯定感が低すぎた私に自信をくれた職業です。辛いこともありすぎて語り切れないけれど、感謝もたくさんあって語り切れません。
が、今年度で突然退職します。
理由は、「疲れた」からです。そして、向上心が欠けてきたからです。向上心の欠けた教員は、子どもに指導する資格がないと思っています。怠けている先輩を見て、「年の分だけ給料もらってんだからしっかりやれよ。」と思ってました。

力があればあるほど、大変なクラスをもつことになったり、学年主任を頼まれたりと、どんどん心身ともに大変です。もちろん手当も出ません。正直いうと、それに嫌気がさしました。若い頃は、「若いのに荒れた高学年をいつも持ってて、力あるね。すごいね。」と言われることが嬉しかったのですが、今や高学年をもてる人は限られているし、「また頼むよ。」と管理職や保護者から言われるたびに「他の教員もがんばれよ(>_<)」と思ってしまうようになりました。自分の体を壊してまでやるものじゃない、、そんな風に思ってしまって退職を決意しました。次は自分の幸せをしっかり考えなくっちゃ。

とってもやりがいがあって素敵だった仕事を辞めるからには、さらなる幸せを求めて生きていこうと思います。それこそ教え子に誇れるような、自分に自信をもって幸せに。。。私がこれからどう生きていくのか、ブログを通して見守っていてもらえたらと思います。